この歌について少し調べて見た。 勿論日本語での資料は殆どなく、まずは wikipedia 韓国語版から「朝鮮初のソプラノ歌手」であったことを知る。
少し訝った。 と言うのは、「エッ、ソプラノって高音域でなかったっけ?」
と言うのは、あの 주현미 の歌を聴いても高音域向けとは想えなかった。
それにしても、1920年代新女性の代表的人物という形容がよく判る経歴があった。
1925 日本蓄音機会社(後の日本コロンビア)は ‘매기의 추억’ という歌をテノールの 안기영 とレコードとして取り入れた、つまり、朝鮮人として初めてのレコード歌手。
また開始間もないラジオ放送にも出演している。
朝鮮総督府の官費留学生として 1918 現・東京芸大に3年留学して声楽を研究した。
留学中に妻子ある劇作家 김우진 と不倫の恋に陥った。
1926 年 8/1 日東蓄音機会社(大阪)での ‘죽엄의 찬미’ レコーディングのために来日。
‘죽엄의 찬미’ は行く先を悲観した 윤심덕 が作詞したものらしい。 ‘찬미’ は「唱歌」の意味で使われたようだ。
レコーディング後は身辺整理をして帰国の途に付く。 古来から自殺の名所であった対馬近海で 8/4 未明二人で抱き合うようにして海中に消えた。
当時の東亜日報は次のような見出しで二面トップで伝えたという。
美聲의主人尹心悳嬢
靑年文士와投身情死
当時蓄音機(レコード・プレイヤ)が 90 圓であり、 윤심덕 のバッグには 140 圓が入っていたという。 現在の 150 万円という所か。
ニュースが伝わるとレコード会社は「左ウチワ」だったとか。
このレコードが音源かと思われるが、 윤심덕 の歌う ‘죽엄의 찬미’ を聴くことができる。 が現在の多くが歌うよりもずっとテンポが遅い。
http://pmcstar.tistory.com/103
4 分 40 秒に及ぶ wmv のものが Youtube にありました。